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直方市

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直方市への交通手段(地図・公共交通機関)

市のあゆみ

江戸時代

 筑前国に属する。元和9年(1623)、初代福岡藩主黒田長政が亡くなり、その遺言により四男高政に4万石を譲り、東蓮寺藩が成立する。寛永3年(1626)、殿町、古町、津田町などに城下町が建設され、藩主の館は殿町に置かれた。

 延宝3年(1675)、「東蓮寺」を「直方」に改名。元禄5年(1692)、4代藩主黒田長清の時代には、1万石が加増され、藩主や方を現在の体育館西側の「御館山」に移し、新町、門前町などを開き、城下町を南側に大きく拡張した。しかし長清の子、菊千代が福岡本藩を継ぐこととなったため、享保5年(1720)長清が没すると直方藩は廃藩となった。
 その後は、町の衰退を防ぐため、それまで遠賀川の東岸を通行していた長崎街道の経路を変更し、直方の町の中を通行させるよう請願し、その実現により商業の振興に努めた。

 
近代

 明治22年(1889) 町制施行によって、直方町と山部村が合併し、直方町となる。

 明治24年(1889) 筑豊興行鉄道、若松ー直方間開通。

 このころ、多数の炭鉱が開かれ、急激に人口が増加する。鉄道網の延伸に伴い直方には機関区や操車場が置かれ、交通の要しょうとして発展した。

 昭和15年 直方町と新入、頓野、福地、下境の各村が合併。

 昭和6年 市制を施行。昭和30年に植木町と合併、さらに昭和33年に小竹町赤池の1部を編入し今日に至っている。

 旧産炭地の玄関口として栄えたが、エネルギー革命後は、鉄工業、商業のまちとして産業構造の転換が進めた。

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