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古高取

豊臣秀吉による文禄・慶長の役は、それまでの焼き物の世界を一変させました。朝鮮半島に進攻した西国の諸大名はこぞって半島の陶工を連れ帰り、萩焼、薩摩焼、上野焼、伊万里焼など、現在も各地で栄える陶芸のルーツはこの時代にさかのぼることができます。こうして、それまで有力な陶器生産地のなかった九州が全国で最も盛んな生産地となりました。

永満寺宅間窯跡の写真
永満寺宅間窯跡全景(発掘調査当時)
 
直方は筑前国焼として、また茶陶として全国に勇名を馳せた高取焼の発祥の地です。豊臣時代、豊前の領主であった黒田氏は文禄・慶長の役の際、八山という陶工を連れ帰ります。

永満寺宅間窯跡から出土した土碗の写真
永満寺宅間窯跡出土碗

慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦のあと、筑前に国換えになった黒田氏は、豊前国境にほど近い、ここ直方市の鷹取山(標高630メートル)の麓において、八山に最初の窯を開かせます。これが永満寺宅間窯です。この窯は、全長16.6メートルの割竹式で構造・製品ともに朝鮮半島の李朝陶器の影響が強くみられます。このころ八山は高取八蔵と改名し70人扶持で士分にとりたてられたようです。
慶長19年(1614年)、宅間窯につづいて北側約3キロメートルの位置に開かれた2番目の窯が内ヶ磯窯です。この窯は、全長46.5mと大規模なものとなり、唐津、備前、瀬戸など、さまざまな焼き物の影響をうけ、織部好みをはじめとする多様な作風の陶器を多量に製作していたことが発掘調査によってあきらかになりました。さらに、窯跡に隣接して、工房跡とみられる建物跡や粘土を貯蔵した土壙などの遺構も確認しています。
元和9年(1623年)初代藩主の黒田長政が逝去すると、八蔵父子は二代藩主、黒田忠之に帰国を願い出、勘気に触れ蟄居を命じられたと伝えられています。これによって、内ヶ磯窯は閉じられ、八蔵は山田市の山田窯に移ったとされていますが、近年、八蔵父子とは別の一派が内ヶ磯窯で作陶を続けていたのではないか、との説も提出されています。

内ヶ磯窯跡の写真
内ヶ磯窯跡全景(発掘調査当時)
 
八蔵の作品が当時の将軍茶道指南、小堀遠州に認められると、寛永7年(1630年)八蔵は再び黒田藩に召しかかえられて、飯塚市の白旗山窯に移り、「遠州好み」と呼ばれる瀟洒な茶器などを生産しました。しかし、この地で承応3年(1654年)に生涯を終えます。

内ヶ磯窯跡から出土した茶入の写真
内ヶ磯窯跡出土茶入

その後、八山の次男が高取家の二代目を継ぎ、寛文5年(1665年)、小石原鼓窯に移り、この地で現在まで伝承されています。一般に宅間、内ヶ磯、山田窯の時期を古高取、白旗山、小石原鼓窯の時期を遠州高取と呼んでいます。古高取の時期の窯は、ほかに岡垣町上畑窯、宮田町千石窯があり、宅間、内ヶ磯窯の分派とも考えられています。
内ヶ磯窯跡の出土品には、碗、皿、鉢、壺、擂鉢、片口、瓶、甕などとともに茶入、水指、花生、水滴などがあり、器形は非常に多彩です。茶入は中国(唐物)の茶入を精巧に写すことをめざして特別緻密な精土を使い、底部の糸切も中国茶入にならって左糸切痕です。
また擂鉢の器形には肥前と共通のものもみられますが、一方で16世紀に九州一円に流通していた備前擂鉢の強い影響を受けたものもみられます。また、大胆に変形を加えられ、幾何学文様をヘラ描きする織部様式の沓形碗、沓形向付や、桃山様式の備前や伊賀と共通する特徴を示す水指、花生なども散見されます。
成形はロクロ成形を主体としますが、甕、鉢、瓶、片口などには叩き成形も行われます。茶入の窯詰めに輪ドチを用いていますが、この輪ドチは瀬戸・美濃で盛んに使われたものであり肥前ではみられません。他の窯詰め法はトチン、ハマを使い、重ね積みには胎土目積みと貝目積みがみられます。

内ヶ磯窯跡から出土した沓形茶碗の写真
内ヶ磯窯跡出土沓形茶碗
 

内ヶ磯窯跡から出土した沓形向付
内ヶ磯窯跡出土沓形向付

装飾法としては釉薬に肥前以上の多彩さがみられます。肥前では、岸岳城周辺の初期唐津窯で盛んに用いられた藁灰釉は、17世紀初頭にほとんど姿を消すのに対し、福岡の上野・高取は当初から盛んに用いており、17世紀前半のなかで飴釉、灰釉などと組み合わせて使う装飾が発達します。鉄絵装飾は肥前において1590年から1610年代に盛行しますが、内ヶ磯窯にも導入されています。さらに、灰色の釉薬の上に銅緑釉を点々と散らした碗も確認されています。

また、ヘラ彫、線彫、櫛描などによる陰刻文様が施され、貼花や印花装飾もいくらか行われました。さらに、透鉢の破片も出土しており、従来、萩と考えられていた透鉢が内ヶ磯産であることが確認されました。また、手鉢や手付水注も出土しており、茶道具や茶懐石に用いられる多彩な道具を生産していたことが明らかになりました。

白旗山窯の時代になると、高取の作風は小堀遠州の指導により、非常に瀟洒なものに収斂されていきますが、内ヶ磯窯の茶入にはその萌芽をみることができます。内ヶ磯窯の製品は、桃山様式と江戸様式の過渡期を象徴し、日本各地の茶陶の研究と試行錯誤の様が垣間見られる、きわめて興味深いものといえます。
 

お問い合わせ

直方市教育委員会 文化・スポーツ推進課 社会教育係(直方市中央公民館内)
電話:0949-25-2326 所在地:直方市津田町7−20
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