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「筑豊炭田遺跡群」国指定史跡に! - 第4回

更新日 2018年09月27日

「市報のおがた」では、官報告示にむけて、しばらくの間、毎月1日号で、国史跡指定の答申を得た筑豊炭田遺跡群のひとつ「旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所及び救護練習所模擬坑道」の歴史的意義と、その魅力について、みなさまに少しずつご紹介しています。


第4回『筑豊石炭鉱業組合救護練習所模擬坑道の特徴』

前回述べたように、明治45年(1912)、筑豊石炭鉱業組合直方会議所の裏手にできた非常用器具練習室が、わが国最初の炭坑事故に備えた救護練習用模擬坑道です。大正4年(1915)、頻発する大事故を受けて定められた石炭坑爆発取締規則によって、危険な炭坑では救護隊を組織することが義務付けられました。この規則は5年間の猶予期間がもうけられており、その間に救護隊の設備や組織を整備するよう求められました。猶予期間が終わる大正9年(1920)、筑豊石炭鉱業組合は、非常用器具練習室の上段部分に、全長約65メートルに及ぶ、煉瓦造りの模擬坑道を新設します。また、トンネル部分は当時最新鋭の鉄筋コンクリート造りでした。国内の最先進地であり、多くの炭坑が密集する筑豊地区では、全国の模範となる練習施設が求められたのでしょう。また、坑道内で火災を想定して火を焚いても、焼けることのない煉瓦やコンクリートが用いられました。

  

大正12年(1923)、組合は従来の救助器練習会を変更して、筑豊石炭鉱業組合救護練習所を組織しました。この年、上段部分の煉瓦坑道と、従来の非常用器具練習室をつなぐ、傾斜20度の木造の斜坑が増築されました。その後も模擬坑道は増築を重ね、より充実した設備となっていきます。

  

模擬坑道には、実戦さながらの救護練習が可能なよう、坑内の温度を上昇させ、煙を発生させる暖房設備、通気坑と坑道の交差する箇所に設けられる風橋と呼ばれる橋などが設けられました。ここで行われた救護練習としては、救命器使用練習、落盤箇所復旧のための枠入れ練習、被災箇所に新鮮な空気を送り込むための張出練習、有毒ガスを検知するための練習、被災者搬送練習などが行われました。

 

昭和10年(1935)に刊行された『筑豊石炭鉱業会五十年史』には、「即ち本会救護練習所の事業は、全国に未だかつて例をみざる歴史と設備を兼有するもので」と記されており、その後、全国各地につくられた模擬坑道のモデルとなったことがわかります。救護練習所は、主に組合傘下の炭坑から選抜された救護隊員の練習を行っていましたが、第二次世界大戦前においては、県内では糟屋海軍炭坑、早良炭坑、国内では三菱大夕張炭坑、京都帝国大学学生、さらに海外では旅順工科学堂生が訓練を行った記録が残っており、炭坑保安の最先進地であった直方に、全国各地はもとより、中国大陸からも練習生が訪れていたことがわかります。

 

なお、御館山にあった石炭坑爆発予防調査所は、騒音に対する苦情のため、昭和3年(1928)、頓野に大正8年(1919)に組合が開校した筑豊鉱山学校(後の福岡県立筑豊工業高校)の隣接地に移転します。跡地は多賀公園となりました。


上空から見た模擬坑道。複雑な形状のモルタルで巻かれた筒状の坑道。

救護練習所模擬坑道全景

レンガ造りのトンネル状模擬坑道内部。

煉瓦造の模擬坑道(大正9年築)

鉄筋コンクリート造りの模擬坑道。

鉄筋コンクリート造の模擬坑道(大正9年築)

煉瓦坑道内で、酸素マスクをつけた隊員達が木製の橋を腹這いで進んでいるところ。。

煉瓦坑道内の風橋通過練習(昭和4年頃)(九州歴史資料館提供)

煉瓦坑道内で、酸素マスクをつけた隊員2名が、検知器を使って有毒ガスの濃度を測定しているところ。

煉瓦坑道内のガス検知練習(昭和4年頃)(九州歴史資料館提供)

鉄筋コンクリート製の坑道内で、酸素マスクをつけた隊員達が、壁に大きな幕を張っているところ。。

鉄筋コンクリート坑道内での張出練習(昭和4年頃)(九州歴史資料館提供)

酸素マスクをつけた隊員たちが、負傷者役の隊員を担架にのせて、木造の斜坑を運搬しているところ。。

木造斜坑内での負傷者運搬練習(昭和4年頃)(九州歴史資料館提供)

このページの作成担当・お問い合わせ先

直方市教育委員会 文化・スポーツ推進課 社会教育係(直方市中央公民館内)

電話:0949-25-2326 所在地:直方市津田町7−20 このページの内容についてメールで問い合わせする